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真・内藤のび太の格闘開拓史

真・内藤のび太の格闘開拓史

内藤”のび太”禎貴(よしたか)は漫画オタクから世界チャンピオンへ

ONEストロー級世界チャンピオン内藤のび太(Yoshitaka “Nobita” Naito)は、粘り強い攻めと打撃をかわす技術で他を圧倒しているが、彼は昔から総合格闘技をやっていたわけではなく、むしろ格闘技とは無縁の「オタク」文化として世界で日本が誇るアニメや漫画ばかり見ていたタイプだ。

最後まで諦めない果敢なファイトスタイルに似つかわしくないが、彼の強さを語るうえで漫画を切り離すことはできない。

「家には普通の本より漫画がたくさんあります。」と、32歳の男は質問する雑誌記者に答えた。加えて、「日本には数え切れないほど色々な漫画があるので、困ったことはありません。」と、まるで週間少年誌をむさぼるように立ち読みする小・中学生のようだ。

 

まるで、のび太がジャイアンに喧嘩を挑むファイトスタイル

千葉県で生まれ育った総合格闘技(MMA)の内藤チャンピオンは、漫画コレクションが趣味だった。特に幼少から欠かさずテレビで見ていたドラえもんは、数ある好きなアニメ、漫画の中でも特別。余談になるが、ドラえもんは”Doraemon”としてアジア全域で人気が高い。もはやそれは日本文化のミーハーな娯楽としてではなく、かつての日本と同じように子供の道徳教育に一役買っている。日本のコンビニでタイ人が描いたキャラクターを見たことがあるだろうか。東南アジアでどこでも目の当たりにするDoraemonは、もしかしたら日本よりも普及しているかもしれない。

好きな女性のタイプは、しずかちゃん

1969年12月に発表された漫画ドラえもんは、のび太という名前の完全にオタクにしか見えない外見で、どこか危なっかしくて心配をかけるような若い男の子が主人公。よくありがちな、破天荒だが天才的なスター性があるキャラクター、ではなくどこにでもいそうな自信がなくて気弱な少年だ。

彼自身、試合前のインタビューでは毎回のように「自信がない」と受け答えをする。いざ試合でゴングがなるまでは、ジャイアンに喧嘩で返り討ちにある弱っちいのび太そのもの。

「小さい頃、テレビはいつもドラえもんでした。」と、照れ臭そうに内藤選手は回想する。

「テレビっ子だったので、面白くてはまって大好きでした。同年代の友達がドラえもんを見なくなっても、毎週欠かさずに見続けました。」

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総合格闘技を始めた些細なきっかけ

そんな彼がドラえもんの次に情熱を奪われたもの、それが総合格闘技だった。健康のために近くの格闘ジムの門を叩いた体が小さい漫画オタクは、全く別次元のステージへの階段を上り始めた。彼が所属するパラエストラ松戸がやはり彼の住む千葉県にあることから、内藤選手は格闘技を始めたころ、One Championshipの世界王者はおろか、プロ格闘家になるなどとは夢にも思っていないことが伺える。

内藤選手は誰よりも練習した。格闘家としては遅咲きだったため、格闘技を始めた当初は練習に付いていくのがやっとだった。練習試合をしても全然勝てないが、格闘技を諦めるという言葉は内藤選手の頭からすっぽ抜けているようで、勝ちに行くよりもしつこく粘って負けない試合運びを次第に確立していった。

初心者が上級者を上回る唯一のことは、元気にいつまでも立ち向かい続けること。これは、スポーツや格闘技に限ったことではない。

ジャイアンに何度イジメられても、めげずに空き地で決闘を受け入れる。しつこく、粘り強く。ジャイアンは、ボコボコにやり過ぎてのび太の顔が変形してるのに立ち向かってくる姿勢を見て、何度かのび太に降参したシーンがある。のび太は愛する誰かを守るとき、ドラえもんの道具に頼らず自分で頑張る。

内藤のび太選手の強さは、まさにドラえもんで見るのび太のファイトスタイル。試合が後半のラウンドになればなるほど有利に傾くのは偶然ではない。負けない強さの秘密はドラえもんに貰った気持ちと、格闘家として遅咲きが故に試合で瞬殺されまいとして身につけた試合運びやスタミナにある。

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2012年、修斗のプロ格闘家デビューのリングネーム決定

パラエストラ松戸は内藤選手を修斗に送り込むため、彼の謙虚で気弱な性格が一発で伝わるリングネームを考えていた。

「いつも眼鏡をかけていたし、MMAを始めたばかりで、何もできずに負けると思っていたので。イメージにもぴったり合うし、リングネームは内藤のび太にしたい。」と彼は言い、ジムの仲間は賛同した。

「僕は頭も良くないし不器用なので、同じようなのび太に自分を重ねていました。」と、インタビューで語る姿は、どこまでも既存の格闘家らしくない。

内藤選手は、無敗のまま修斗のフライ級チャンピオンベルトを手に入れたが、決して楽な試合ばかりではなかった。修斗時代は判定で決着する試合も多く見られたが、試合で見せる積極的な姿勢は格闘技イベントを盛り上げるのに十分だった。後半になってもバテる様子がなく、蜘蛛のようにまとわりつく執拗なタックルと寝技は、同階級に敵なしのレベルまで達していた。

そして、修斗で2度のタイトル防衛戦に勝利した翌年、すでに世界でベスト3の大会規模を誇っていたOne Championshipから試合出場のオファーが届く。タイで初めて総合格闘技大会の開催が許された記念にもなったONE CHAMPIONS OF KINGDOMで、伝説の2階級制覇ムエタイファイターDejdamrong Amnuaysirichoke(デュダムロン)とストロー級世界チャンピオンの座をかけた試合が組まれた。

 

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内藤のび太「勝つ自信はいつもありません。」

インタビューで彼はいつもこのように心からの弱音を吐く。嘘で気持ちを隠せる器用な人は、のび太にシンパシーなど感じない。しかし、ドラえもんの映画長編で発揮する彼の勇気ある行動を、日本国民なら誰もが応援したくなる。頭が悪くて弱っちいのび太、でも誰よりも優しいのび太、密かにしずかちゃんの幸せを願うのび太、頼ってばっかりのドラえもんを救うときだけどっから出てくるか分からない判断力、行動力、統率力を発揮するのび太を嫌いな人は誰もいない。

修斗の大会運営は彼をプロモーションに抜擢

のび太くんのように誰からも愛される性格は、MMA総合格闘技大会イベントの運営者すら惹き込んだ。2014年のフライ級チャンピオン決定戦、内藤のび太選手の名前がコールされると、おそらく後楽園ホールに一度も流れたことがないであろうあの音楽が響き渡った。しかも、入場する内藤のび太は白襟の黄色いシャツを身にまとい、空を自由に飛べない竹とんぼを頭に付けて花道を歩く。大会告知のポスターには、メインイベントの選手として堂々とコスプレ姿を披露した。格闘技の伝統を重んじる修斗大会では異例の扱いだった。

内藤には、若くて格好良くて派手に相手をぶっ倒す王道のヒーロータイプではないが、実に重要な類似点がある。それは、視聴者が興奮を感じていること。見た目のギャップに関心するせいかもしれないが、私は内藤選手の崖っぷちで見せるど根性を見るだけで十分に魅力的だと感じる。

弱者に希望と勇気を与えることは、K-1で有名な魔裟斗や武蔵のようなタイプには到底真似できない。試合前の煽りVTRで、「KOで絶対に倒す」とか「2度と戦いたくないと思わせる」など、テレビの演出が入っているとはいえ強気の発言をする人間に弱者は耳を傾けない。眩しすぎて目も開けられない。

オタク、マニア、とレッテルを貼られた人間の深い悩みは、ヒーローに憧れて解消できるものじゃない。

内藤選手はインタビューの最後、自身の生き方についてこのように語っている。

「自分が漫画やアニメのキャラクターに憧れたように弱さと強さの両方を見せて、みんなに何か感じてもらえる試合をしたい。将来、何が起こるかなんて予想できない。毎日、すべての瞬間が人生の分岐点です。その事実がさらに僕を魅了します。」

のび太に参った、とジャイアンすらギブアップしそうな発言だ。

真・内藤のび太の格闘開拓史は今後もシリーズを続け、お茶の間に感動を届けるだろう。

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